GACKT
すべての始まり。がっちゃんとの出会いは2007年、わたしが小学校4年生のこと。両親にくっついて大河ドラマ「風林火山」で上杉謙信が弓を射るシーンを見ていたわたしの中でなにかが起こった。すごく、すごくきれいだと思ったしときめくとかを通り越して心が持っていかれすぎてもはや気持ち悪くなったのをいまだに覚えてる。思わず親に”あれ誰?”って聞いて”Gacktだよ”って言われて、次の回のオープニングをみてそっこーでローマ字の綴りを覚えたことも。それまで同級生がジャニーズに”きゃー!”ってなっていてもいまいちわからなかった。もちろん、お顔がかっこいいというのはすごくよくわかるしドラマを見ていてときめくこともあったんだけど、役ではなくて芸能人の男の人そのものにドキドキするみたいな経験がなかった。この人イケメンだなって思うことと、その人にときめくことの境目をわたしはあの日はじめて知った。
わたしが好きになった頃、がっちゃんはすでにテレビにはそんなには出ていなかった。それでもなんとかして知りたくて、毎日ブログを過去から遡って読み漁り、見に行けない眠狂四郎の舞台は柴田錬三郎の原作シリーズをお小遣いで少しずつ買って読んでみたり。もちろんカメラロールには画像が大量に保存してあった。
Gacktの何が好きって容姿が好きだったので、初めは音楽はどうでもいいというスタンスをとっていた。というのも、あの頃の私は洋楽コンプレックスみたいなの(これは両親の趣味嗜好によるところが大きくて今思うと大変ツライのだけど、それを鵜呑みにしていたために好きとか嫌いとか以前に邦楽を全然知らなかったくせに食わず嫌いをぶちかましていた)を拗らせていてGacktなんて持ってのほかと言わんばかりの勢いだったし、声も苦手だと思っていた。でも姿を拝みたいならMVを見なければならない。それに好きというなら聴いてないとまずいし。初めはそんな半分使命感で手を出した。でもね顔が好きなら聴けるんです。苦手だと思っていたものでも受け入れられちゃうんです。そもそも苦手だと思い込んでいただけだというのもあるけど、好きの力はものすごい。気づけばすっかり慣れてしまい、あれだけ”好きなのは顔だから”って思っていたし言っていたのに…(つくづく失礼なやつだ)、自ら聴きたくて再生してしまうほどにすっかりGacktが好きになっていた。YouTubeもたくさん見たし、歌詞を書きうつしたりもしていた。もうさようならしてしまったけど、歌詞ノート3冊はあった。ただしこの時点での好きは、今から思えばあくまで慣れた・聴ける、顔が好きに付随するものだった。
ずっと、明らかに他の好きとは格が違う特別な存在だったわりにライブには行ったことがない。けど一度だけ、生身のGACKTを見たことがある。 高校1年生の夏、中学の同級生(彼女のお母様はGACKTファンで、親の目を気にしてCD借りに行けないわたしに快く貸してくれたり焼いてくれたりもう大変お世話になった)と新潟まで電車で行った。新潟には謙信公祭というものがあって、大河ドラマのゆかりでGACKTが謙信の衣装で馬に乗ってパレードするの。もちろん目の前を通るのはほんの一瞬。その一瞬のために往復8時間、多分7千円くらい電車賃もかかったと思う。時間はともかく、バイトもしていない高校1年生にとっては、それなりに大きな出費だったはずだけど、それでもとにかく生で見たかった。好きになって7年目のその日、その願いはようやく叶ったわけです。しかも一番最初に好きになった”御館様”の姿で。目の前を通るほんの一瞬でもとんでもなく美しくて”うわぁ、ほんとうにGACKTだ。ほんとにいたんだ…うわぁ”って静かに興奮した。興奮しすぎると人間は黙る。帰りの電車の中も放心状態だった。ずっと画面の中でみていたきれいな男の人が、ほんとにきれいな存在として実在しているという衝撃は凄かった。
一方で、2011~12年が境目だと思う。ブログの内容によくわからないなってことが増えてきて、曲もうーむ?という感じになり…というところから始まった違和感は、その後ブログの有料化、仮想通貨、動画で見るファンクラブイベントのノリへの違和感によって決定的になって、わたしの気持ちは徐々に離れていった。ライブに行ったことがないのは、行ける年齢になった時にはもうその時期に突入していたから。結局のところ、そこから現在に至るまでのGACKTに気持ちが戻ることはなかった。実業家になったがっちゃんには全然興味がないし、本人がどういう人間なのかってことをネットとかマスメディアの情報とかから考えようとすると悲しい気持ちになるし、もはやがっちゃんのことはあまり信じていないんだけど…そういったことも相まって、GACKTが好きだということ自体を恥ずかしいことだと思っていた時期が高校生から大学生にかけてしばらく続いたし、この時期なんなら、もう卒業したくらいの気持ちでいた。
それでもドラッグストアでかかった昔の曲にイントロ2音でGACKTだ!ってなるくらいには嫌いにはなれなかった。かつてのような温度はもう無い。けれど完全に消えることもなく燻り続けていたその熱がはっきりと再燃したのは、大学生も終わり頃。卒論からの逃避で再生したのをきっかけに、映画「MOON CHILD」をアホのようにほぼ1週間に1度のペースでみていた時期、改めてアルバムを聞き直したりライブを見返したりするうちに、お顔から入ったけれど実はそれだけじゃなくて、それまでのGACKTの作ってきたもの、表現してきたものの美が好きなんじゃない?っていうことに気がついた。
GACKTが先なのか、もともと近い感覚があったからハマったのかは何回考えてもわからないし、どっちもかな。「MOON CHILD」にしても舞台「義経秘伝」にしても、描かれるのはそれぞれの出生の事情や信念の正しさに従って進んだ結果、かつて心を許し、一緒に過ごしたものたちが刃を交わさなければならなくなるその葛藤や悲しさ、そして最後に残った者の罪の意識やそれでも生きてゆく姿。がっちゃんワールドの美は決してハッピーエンドにはならないのである。この人が表現したい美しさがなんかわかるというか…。基本的に幸せであれっていう、幸せでいたいっていうのが人間の正常だと思うんだけど、ハッピーな状態には宿りえない美しさがある。かなしみを抱えたひとは美しい。
だけど、そこまで認めることができるようになってもやっぱり今のGACKTを好きにはなれなかった。ここ数年の彼はTVに出ても偉そうな態度、サムネで煽るようなダサくてつまらないYouTubeチャンネル、犬を里子に出した事件をはじめ、数々のきな臭いニュース…見ていて辛かった。やることなすこと彼自身をより苦しい状況に追い立てているみたいで。どんなに炎上してももう、”またか”みたいな諦めがあった。”そんなわけないじゃん!”って否定するにはどのエピソードもあまりにもきつい。いちいち憂いたり憤ったりするのも疲れちゃうし。決していいことではないけど悪いニュースには慣れっこになっていた。
それよりもLINEニュースにもならないひそかな報せの方がわたしにとってはよほど衝撃だった。2019年、20周年ライブツアーに際して、デビュー以来GACKT JOB ※ツアーをするときのバンドの呼び名のレギュラーメンバーだったYOUとChachamaruがツアーメンバーから外れたのだ。どんな事情や理由があったのかよくわからないけど、幼なじみで昔からようーく知っているであろうYOU、JOBの中でもお兄さんでバンマスでもあった茶々姐。いつでも両サイドにいたギター2人の不在は、ライブに行くつもりがなくても受け入れ難いものだった。JOBは一応オーディション制を敷いているものの他のメンバーが変わってもこの2人だけは絶対的だと勝手に思っていた。それぞれJOBじゃなくても活躍できたかもしれないけどずっとGACKTについてきてた2人、最も近くでわがまま王子を支え続けてきたであろうこの2人が離れるのは大袈裟でなく大黒柱と基礎が一度になくなるようなもの。この人はやっていけるのだろうか、ひとりぽっちにならないだろうかっていう心配もあった。
そして届いた活動休止…というより、一時危篤のニュースに流石に心が揺れた。わたしが愛してるのは昔のがっちゃんだから、今のがっちゃんじゃないから平気、生きててくれさえすれば大丈夫と思いつつ、揺れた。あのニュースが届いたとき、わたしはすでにBUCK-TICKに出会って夢中だったのだけどワクワク開拓している最中、ふとミックスプレイリストでGACKTが流れた時言いようもなく安心している自分がいた。そうして、ようやく気がつきました。GACKTという存在はわたしにとって出会ってからずうっと、実際はめちゃめちゃ遠いのにものすごく近くにある、あって当然の存在だったということ。
わたしの内側をちょっとだけさらけだすとなぜかずっと”帰る場所がない”って感覚があった。というか今もある。家族はありがたいことに皆健在だし、関係性も決して悪くない。でも帰る場所としては違和感がある。今回、ここ数年は見ることもあんまり無くなっていた「ЯRⅡ」のライブ映像を見返していたら、”おかえり”って、”かえれる場所を用意しておくから”って言ってくれていた。すっかり忘れていたし実際のところわたしのその感覚はずっと変わらずあるのだけど、今よりそのことで苦しい思いをしていた中高生の当時、GACKTがライブやブログで度々口にしていたその言葉に助けられて生き延びてきた日々があったのだった。そんでもって先日オフィシャルで出されたコメントにもその言葉はあった。がっちゃん変わっちゃったなって思っていたけど、危篤と言われてまで、ほんとかなあって疑ってしまう悲しさもあったけど、それだけは変わらずに言い続けていたんだ。忘れていてごめん。そういえば、大学生の時、友達に”アンタはメンタルお疲れになるとGACKT摂取するよね”って言われたけど、がっちゃんはいつの間にかわたしの心が帰れる場所で、ほっとできる場所であってくれたんだなあ。
同じ映像のMCでニッコニッコのがっちゃんを見て、わたしはこれを見ていたいよって思った。もうこの先はどこでどうしていたっていい。とにかく楽しそうにしていてほしい。一流芸能人なんて言われなくていいし、テレビに出なくなっていい。帰ってきてくれる日がきたら、その時は今度こそありがとうとおかえりを返しに行けたらいいなとは思うけれど、何よりがっちゃんがライブやかつてのブログでファンに言い続けていたみたいに、がっちゃん自身が笑っていてほしい。どうか幸せに。