ラジオ「櫻井敦司とくるみちゃんの部屋」最終回で知って以来、これだけをリピートして聴いています。今まで未開だったThe Motal、他の曲もあらためて聞いてみたけど今のところこれが一番好き。
ラジオを通して(ほんの一部とはいえ)彼が良いと思って聞いてきたもの、彼の表現のルーツを知って、聞き馴染みのない歌謡曲の世界には最初は結構おっかなびっくりだったのですが…(特に友川カズキさんの衝撃はすごかった。言葉にしえない。)
だんだん櫻井敦司的だと思う曲のエッセンスはそのまま影響を受けてきたアーティストから受け継いだものなのだなぁと興味が出てきました。
日本の歌謡独特の哀愁、憂い、その美学…
明らかに西洋のそれとは違う、色っぽい陰がありますね。
BUCK-TICKの表現にも存分に日本歌謡の要素はあると思うけど、そういうルーツを踏まえた上で聴くとこの「サヨナラワルツ」、超櫻井敦司なのです。
バンドサウンドでありながら歌謡曲なメロディだとか歌の哀愁とか、そういうのはもちろんなんだけど。
何がこの人でしかないかというと、このメロディにのせる詩に子供の視点と言葉をいれたこと。
歌謡曲に載せられるのって、愛や恋を歌ったものにしても、郷愁にしても、やるせなさにしても、完全に大人の視点と大人の言葉じゃないですか?でもこの曲、こんなふうに始まります。
"ママねえ 聞いて 今日ね 僕ね
夢を見たの とっても 素敵な
パパねえ 聞いて 今日ね 僕ね" …
既にBUCK-TICKを聴いている人なら、深く頷きそうな詩。父と母、それからタイトルにもあるサヨナラ=別れというのは、どちらも生きる上でずっとつきまとうことでもあり、櫻井敦司が向き合い歌い続けていることでもあるテーマ。
「サヨナラワルツ」の"僕"も完全に子供なわけではなくて、どちらかというと、大人の中に置き去りになっている子供…という感じだと思うのだけど、本当によくこの詩を載せたな…と思います。
この静かに型を破った表現、アンバランスを成立させるのはこの人しかできないと思うのだよ。
そんなこんなで、よりあっちゃんへのリスペクトと好きな気持ちが深まっちゃったのでした。
あっちゃんくるみちゃんロスはめちゃくちゃありますが、しばらくは録音しておいたあつくるをこんな具合に、スルメイカのようにじっくり楽しむことにします。
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